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傷口にユーゲル

主にアニメとか漫画とか仕事のこと

『なぜ働くのか』という疑問に20代のうちに答えておく

『どうして人は仕事をするのか』という疑問はたびたび話題になる。
しかし、『生きがいを得るため』、『社会に貢献するため』という理由は間違いだ。それなら、どちらも仕事ではなくボランティアをすればいい。
最も正しいのは、『生活費を得るため』というものだと思うが、もう少し掘り下げておきたい。

働き出して何年か経った現在の視点で、この疑問について書き留めておく。



この世の中には、力と呼べる概念が3つある。
最初に提示しておくと、それぞれ『信用』、『暴力』、『お金』である。

ここでの力とは、個人、団体を問わず、『生きていくために有用な武器』という意味だ。



まず、3つの中で最も強い力は、『信用(人脈)』である。

それは人柄に対するものかもしれないし、能力や実績に対するものかもしれない。
とにかく、「この人なら安心」、「この人なら任せたい、助けたい」といった感情を想起させる何物かのことだ。

大学を出たり資格を取ることも信用のひとつだし、国籍、人種、宗教、家柄、ルックスなどもここに分類される。
YouTuberになって顔を売るのもそうだし、ブログを書いたりSNSを利用することだって含まれる。

なぜ信用が最強の力なのかというと、使っても目減りしないからだ。
むしろ、使うことでより強固にしていくことができる。

信用があるから仕事を任され、人を頼り、頼ることで自身の記録を他人に残していくことができる。
人間関係は人間が絶滅するまでなくなることはない。



次に、2番目に強力な力は『暴力』である。

これは明確にお金よりも強い。どんな金持ちでも、刺されれば死ぬのだ。

お金で暴力に完全に抗うことは難しい。自宅を警備会社に守ってもらおうと、要塞みたいな車で移動しようと、外国からミサイルが発射されれば何も関係ない。
そこまで極端な話ではなくても、普通の人間なら誰にでも、突然強盗に出会ったり、通り魔に殺される危険はある。
ボディガードを雇うのは、お金を潜在的な暴力に変換することだ。


ただし、暴力を行使すると、信用が失われる。

警察のデータベースやネット上に自分の名前が残り、就職、結婚、買い物、その他様々な点で不利益を被ることになる。
また、場合によっては懲役刑や死刑など、『合法的な』暴力によって償いを強いられる。

暴力を使う場合、同じ暴力か、より上位の『信用』という力が逆襲してくるのだ。


ただし、それだけに、『暴力』という力は(倫理性を無視すれば)非常に有用である。

ブラック企業が薄給激務で働かせるのは、暴力の一種である。
正規のお金を支払わず、職場に拘束し、精神や肉体にダメージを与えて労働者側から金銭や時間を強奪する行為だ。
これをやれば、企業努力や研究開発とは無縁のところで、安定して利益を保つことができる。

そしてそれに囚われている人は、たいてい『信用』を人質に取られている。

会社員という立場を失い、履歴書に空白を作ることが、信用に大ダメージを及ぼすと理解している(思い込んでいる)のだ。


信用を人質に取った上での暴力は、とてつもない力を発揮する。



児童や生徒がいじめに加担するのは、それをしないとコミュニティ内での自分の信用が失脚するからだ。
学校や教育委員会がいじめを認めようとしないのは、それをすると自分の教育者としての信用が落ちるからだ。

人間は、自分に対しての評価=信用が重要なことを本能的に理解している。
だから、それを守るための暴力は黙認されやすいし、日常化しやすい。


ブラック企業に限らない仕事においても、潜在的な暴力は溢れている。

取引先に急なキャンセルを押し付けたことはないだろうか。納期ギリギリで仕様にない機能をねじ込んだことは? 脅し透かしで必要経費を値切ったことは?

これらは暴力的であっても(表面上は)大きく問題視されない。自分が使うかどうかはともかく、その存在は意識していなければならない。



3番目に強い力は、『お金』である。

これはわかりやすい。人間生きているだけでコストがかかるし、お金がなければ『とりあえず生活する』という選択すら取りづらくなる。

しかし、上述のとおり、暴力には勝てない。

では、信用に対してはどうだろう。

信用は目減りしないが、お金は使えば減る。
それどころか、持っているだけで盗難やインフレや金融機関破綻のリスクがある。

リスクは株式、不動産、貴金属などへの投資で分散可能だが、本質的に上記の2つとは異なる概念だ。

考えてみれば当然で、お金というのは、人間が社会生活を便利にするために勝手に発明した概念なのだ。
そもそも『日本銀行券』というのも、日本という国に対しての信用の証でしかない。


日本が破綻したら円の価値もなくなるから、ドルやユーロにある程度替えて持っておくべきだろうか。
もちろんそれは有効だが、そもそも、『お金』そのものを持っていなければ何の意味もない考察だ。



さて、ここまで考えて、『働く』という行為は、『信用』と『お金』をいっぺんに得る手段であると気づく。

仕事をすると、好むと好まざるに関わらず、人間を相手にしなければならない。
そして、その中で、何かしらの技能が身につき、人脈が築かれる。

それが、無形の財産となり、世の中を渡っていくための力になる。はずだ。


言い換えると、働くということは生活するための手段だが、今現在だけではなく、死ぬまでに千変万化していくだろう世の中の動きに耐えられる力を得る手段でもある。


そして特に、暴力の臭いを嗅ぎ分ける訓練にもなる。
前述したように、暴力は仕事のそこかしこに潜んでいるが、慣れていないとそれが暴力であると気づけなかったりする。

だから、ほどよい距離で暴力を目撃しておくことも、ある意味では有意義なのだ。もちろん、それが自分に降りかかりすぎて体を壊しては元も子もないが。


つまり、『働いてお金を稼ぐ』という行為によって、割と手っ取り早く『信用』が身につき、『暴力』の支配から逃れやすくなるのである。
効率がいい投資だから、働いている。



特に若者に対して、冒頭のような『生きがい』や『貢献』、『自己実現』などが働く理由なのだと説く偉い人は多い。

しかし、その答えは完全に間違っている。

そういう人は長い経験や金銭的な成功を収めた上でそう感じているのであり、それがない人間に同じ景色は見えない。少なくとも、私には見えない。


洪水がすぐそこまで来ていて、溺れたくないから仕方なく山を登っているのだ。登りきった人間が、山頂の景色の素晴らしさを語っても心に響くはずがない。

しかも、昔その人が登った山はすでに人で一杯で、いま登れるのはK2しか残っていないということだってある。



人生の目的は、『お金を稼ぐこと』であり、『武器を得ること』だ。

もしかしたら、それだけでは『生きがい』を得ることができないのかもしれないが、今現在は関係ない。山頂で何を考えるかは、その時の自分に任せればいい。


もし『生きがい』が欲しくなったら、アニメを観たり漫画を読んだりすればいいだけだ。その上でも足りなくなったら、またこの話を思い出せばいい。


働くことは、現在と未来の自分を食わせるためにやっていることだ。
それは単なる手段だし、こだわりすぎる必要はないのだ。