傷口にユーゲル

主にアニメとか漫画とか仕事のこと

小学生の頃に車椅子の男子がいた

車椅子の話題が盛り上がっていたので思い出したのだけれども、小学生の頃に車椅子の男子がいた。

確か4年生からクラスメイトだった気がするが、もしかすると1年生の頃からだったような気もする。低学年の頃はゆっくりではあっても歩けていたが、高学年の頃には車椅子を使っていた。


特段仲が良かったというわけではない。といって悪かったというわけでもなく、何度か一緒に誰かの家で遊んだような記憶はある。要するに普通だ。

6年生の頃の教室は3階で、学校にはもちろんエレベーターも車椅子昇降装置もなかった。朝男子が登校すると、担任の男性教諭が抱えて3階の教室まで連れていき、体育や音楽などで階下に降りる時も、同様に抱えて移動するといった塩梅だった。トイレの時も先生が付き添って介助していた。


車椅子の運搬は児童がやっていて、移動のたび誰かが畳んで階段を昇り降りしていたと思う。普通に考えて階上と地上で車椅子を2台用意した方がいいだろうが、記憶ではずっと1台の車椅子を使っていた。いや、これは勘違いかもしれないが。

車椅子は電動というわけではなく通常の押して動かすタイプで、それほど重量はないものの、持ち運ぶのはもっぱら男子の仕事だった。

私も一度周りに誰もいない時に階下に降りたいと頼まれ、その子を車椅子に乗せたまま後ろ向きに階段を降りようとして、危うく滑り落ちそうになったこともある。悪いことをした。


要するに、担任とクラスメイトのサポートでその子は通常の授業を受け、学校生活を送っていたが、私のようなアホのせいで怪我をするようなリスクも同時に負っていた。

それが良かったのか悪かったのかはわからない。6年生に男性の教諭はもう一人いたが、車椅子ユーザーがもっと転入してきたら、うまく対応できずに不幸な事故が起こっていたかもしれない。


ところで担任の先生はちょっと変わっていて、朝のHRの時間に校庭でサッカーやフットベースをよくやり、1時間目が終わってもそれが続いているようなことが頻繁にあった。おおらかな環境である。

その間、その子は何をやっているかというと、確か朝礼台のそばで誰かと話をしていたと思う。1時間もずっとしゃべっていたのかはわからない。私はサッカーに参加するばかりで、特に絡みはなかった。朝礼台の代わりに、その子が何度か図書館に行っていた記憶はある。やはり見ているだけというのはつまらなかったのかもしれないし、そうでもないのかもしれない。


車椅子の子がいるのにそんなことをしているというのはあまり聞こえが良くないだろうが、逆にいうと、そのへんのことでその子が『場』から遠ざかるようなことは、あまりなかった。水泳の授業の時もプールサイドに車椅子で見学をし、移動教室の際は前述のとおり、先生が抱えて移動していた。


まずクラスの方針があり、その『場』にその子を連れていくというのが基本だった。体育祭は放送を少し担当していた。大人たちが気を付けていた上での結果だったろうが、小学生の私から見て、特に車椅子が特別なものであったという意識はなかった。ただのクラスメイトで、特に印象に残っていることといえば、前述の転落未遂と、私の給食にハナクソを入れられたことくらいだ。つまり、普通のクソガキだった。

その子が『そこにいる』というのは、私にとって自然であり、特に気にするようなことではなかった。そこに至るコストとリスクが果たして適正なものだったかはわからない。ただ、本人はけっこう楽しそうにしていたと思う。これも私の記憶からの勝手な解釈ではあるが。


その子も、数年前に亡くなったと風の噂で聞いた。若くして死ぬというのはどんな時でもため息が出る。

誰でも死なないほうがいいし、怪我しないほうがいい。今車椅子を使っている人も使っていない人も、同じことだ。