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傷口にユーゲル

主にアニメとか漫画とか仕事のこと

ゆゆ式と気遣いと青春の終わり

ブログを始めた理由のひとつ。

先日、ゆゆ式BD-BOXが発売された。本放送の時は私は学生で、なかなか円盤には手が出ない身分だったが、今なら大した出費でもないと、思わずポチった次第だ。

ゆゆ式 Blu-ray BOX

ゆゆ式 Blu-ray BOX


で、改めて2周ほどしてみたが、やはりとても琴線に触れるものがあったので、ちょっと考察してみたい。






■結局、他の作品と何が違うのか?

ゆゆ式はいわゆる日常系と呼称されるタイプのアニメだが、数ある日常系アニメの中でも異彩を放っている。

別にストーリーは特筆するようなものでもない。仲良し3人組の女の子が、登校して、授業を受けて、トイレに行って、だらだらダベって、昼ごはんを食べて、放課後は3人だけの部活動をして、トイレに行って、家に帰るだけの話である。

バンドを組んだりしないし、留学生と仲良くなったり、喫茶店で働いたりもしない。では、ゆゆ式が持っているユニークさとは何か。

結局のところ、ゆゆ式は関係性の話である。

ゆずこと唯、縁の3人は仲良しだ。仲良しだが、互いに気を遣い合っている。

早い話が、仲良しでいるための努力をしている。

1話の時点でそれはかなり明示されていて、例えばゆずこの初登場時、


ゆずこ「唯ちゃん来たら、どんな反応してやろうかなー? まず大爆笑して一発どつかれてー……」


と、自分がどつかれるところまで折り込んでシミュレーションしている。この3人の中では唯がツッコミ役で、ゆずこが体を張ってボケ倒し、縁があんまり体を張らずにボケ倒すというのがお決まりなのだが、ゆずこはそれを理解していて、何をすれば一番『おいしい』かを念頭に置いて行動できるのだ。その姿はとても尊い。


■気遣いできる人

ゆずこは3人の中で一番の気い遣いだが、それはおそらく、唯と縁が幼なじみであることと無関係ではない。
第5話のタイトルなど、『唯と縁 とゆずこ』である。わざわざスペースまで空けて、2人+1人というグループ性を意識させる。
縁が足を痛めたのにすぐ気づいて、唯が保健室に連れて行くシーンの


ゆずこ(ぐねっとくもんだね!)


という台詞は、ゆずこの表情も相まって、ギャグであると同時にどこか物悲しい。

ゆずこは明らかにグループの引っ張り役だし、3人の間には優劣も序列もない。しかし、唯と縁は少しだけ早く出会っていて、一緒に過ごした時間が長い分だけ、2人の間の共通認識が広がっている。
そしてゆずこはその距離感がわからず、たまに疎外感を嗅ぎ取ってしまうのだ。

唯にとっては、自分の部屋を使った悪戯をゆずこと縁にされたら、ゆずこだけをどついて転がすのが自然なのだが、ゆずこはそれが引っかかってしまう(縁もバツが悪そうな声を出しているので、2人で怒られるつもりだったのだろう)。

だから、3人の中ではゆずこが一番ネタ振りするし、一番体を張っていく。そして3人の関係性を大事にしたいがために、相川グループ(特にちょっとガサツな岡野)とのやり取りにも慎重になってしまう。

もちろん、唯と縁だって気を遣える。唯はいきなりメールでお泊り会を提案されても、文句を言いつつ部屋を片付けてくれるし、ツッコミがキツすぎた時はちゃんと謝れる。

縁はボケ役ではあるが律儀なボケ役である。
暑さでおかしくなっていた時には、「疲れるカラミでごめんねー」と言ってしまえるし、前日ゆずこが振ってきたメールしりとりの返答を、本人も忘れているのにちゃんと返してあげられる。

そんな3人がエピソードを積み重ねていくごとに、2人+1人は3人になり、相川のグループとも親交が生まれて3人+3人になっていく。
ゆゆ式は、努力による関係性の維持と発展を描いているとも思える。


■視聴者を突き放すという選択

ゆゆ式のキャラたちは気遣いをするが、それはこちら(視聴者)には向いていない。あくまで彼女たちは、自分の友達のために心を砕いているのだ。

ゆゆ式民になるか如何の踏み絵として認識されている(個人の感想)のが、2話のアバンである。なんつってが出ちゃったアレだ。

これは完全に内輪のノリとでも言うべきものであり、『箸が転がってもおかしい』を可視化したがごときエピソードだが、ゆゆ式という作品を端的に提示したパートでもある。

ゆずこたちは友達と仲良く過ごしたり、楽しい気持ちにさせたいだけであり、その視線は決してカメラを向くことはない。無数のネタはどこまでも内向きで、画面の中で完結する。

しかし視聴者がその様を観ることで、エンターテインメントは生まれる。キャラクターがキャラクターを大事にすることに軸足を置いているため、視聴者が突き放されたようになってしまうとしても。

それによって、『出し物』然としたドラマではなく、ある意味で『リアル』な日常を楽しむことができるのだ。

このあたりは、EDテーマ『Affection』にもよく表れている。


♪いつもの君の笑顔が
 すごく嬉しいから もっと笑わせちゃえ 
 そんなノリでいくよ



■終わるということ

前述したように、ゆゆ式は学校でのエピソードをメインに据え、下校シーンからEDへ移行するというのが一種のフォーマットとなっている。

ゆゆ式というアニメの根底にあるのは『関係性』であり、一種の『リアル』である。『リアル』な関係性は不変ではない。そしてゆゆ式の世界は無情に時が流れていっている。

つまり視聴者からすると、毎回ノスタルジーを喚起させられると同時に、なんとなく、『終わり』を意識させられてしまう。なまじリアルであるだけ、ゆゆ式という世界には、『青春の終焉』という悪魔が忍び寄る余地があるように思えてしまう。

エピソードひとつごとに、終わりは近づいていく。しかし、彼女たちは意に介さない。視聴者の顔色など伺っていないからだ。彼女たちにあるのは現在だけであり、哀れなゆゆ式民は、それを甘んじて受け入れるほかない。

そしてだからこそ、視聴者はこのアニメにハマっていくし、ゆゆ式という存在は大事にされていく。
キャラクター同士の隙間の空気。決して無限ではない青春の空気。
そういったものが、ゆゆ式に愛を注ぐ理由になってはいけないだろうか。

ゆゆ式のイメージソングのタイトルは、『セツナイロ』である。とてもよく作品を表していると思うので、一度聴いてみてほしい。


♪これでいいんだね
 たくさんの色を 塗りたくろうよ
 セツナイロ 終わらないよ


刹那を大事にする彼女たちが、少しだけ切ない。


■総括

いろいろと語ったが、結局ゆずこたちがとても可愛かったので満足な買い物だった。切なさに立脚した可愛さは、破壊力が倍増する。

アニメ2期の製作が行われることを祈って、筆を置くこととする。


「大変だけど、よくなったんじゃないかなって思う。先生」



TVアニメ「ゆゆ式」オープニングテーマ「せーのっ! 」 (限定盤)

TVアニメ「ゆゆ式」オープニングテーマ「せーのっ! 」 (限定盤)

触れられなかったが、OPテーマも非常にいいのでおすすめ。CD1本にメイン曲がすべて入っている。素敵。