京アニ放火事件に思うこと
仕事で世話になった人の肉親が巻き込まれ、亡くなったことを知ったのは、事件から2週間ほどあとだったろうか。
人づてに聞いて、驚いたことを覚えている。
その世話になった人は、穏やかで仕事のできる人だったし、事件後にもメールの返信をしてくれた。
同時に、こんな時でも仕事を頼まなくてはならないなら、仕事とはいったい何なのだろうかという茫漠とした疑問が脳裏に浮かんだ。
若かろうが健康だろうが死ぬ時は予告なく死ぬと常々肝に銘じていたつもりだが、こんな形で死ぬ、あるいは肉親を失うというのは、想像しようとして容易にできるものではない。
真面目に善良に長年働いてきて、その仕打ちがこれというのは、あまりに救いがなさすぎる。
だから、まったくの部外者である私が首を突っ込むのも違う気がして、この放火事件について積極的に調べることはしなかった。
しかし今日、事件から1年が経ち、みんなが鎮魂に意識を向けていることで、なんとなく手が動き、亡くなったその人のことを調べてみた。
警察は京アニ放火事件で犠牲となった35名の実名をすべて公表している。
そのリストを眺めていくと、知り合いと同じ名字の名前があった。
検索すると、やはり京アニだけあって私のよく知るアニメに多数関わっていたらしい。
京アニは他スタジオの下請けもやっていたから、意外なタイトルも仕事リストの中に入っている。
なんにしても、作品タイトルの羅列を追っていくだけで、この方が業界になくてはならない人物だったことが理解できた。
老人がひとり死ぬことは、図書館がひとつなくなることと同義だという言葉があるが、優れた技術者を失うことも、それに匹敵するだろう。
私はそう熱心なファンというわけではないが、『フルメタル・パニック?ふもっふ』に始まって、『AIR』や『涼宮ハルヒの憂鬱』で京アニの実力に触れ、存在感を知り、いちアニメ好きとして付き合ってきた。
その仕事に敬意を払うし、これから先も優れた作品を生み出し続けてほしい。
まったく元通りとはいかないだろうが、これまで積み上げてきた実績と信頼は、きっとスタジオの再建に役立ってくれるだろう。
そう無責任に考えて、筆を置く。単なるファンにできることは、そう多くないのだから。